アール・デコ
アール・デコ(仏:
Art Déco)とは、一般にアール・ヌーヴォーの時代に続き、
原義は
概要
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アール・デコは、戦前の1925年に開催された パリ万国装飾美術博覧会 で紹介された。博覧会の正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)である。戦後、アール・デコという言葉が印刷物に登場したのは、1966年にタイムズ紙のヒラリー・ゲルソンによる記事によるものだった [1] 。
キュビズム、バウハウスのスタイル、当時発掘が相次いだ古代エジプト(古代エジプト美術)の装飾模様、アステカ文化の装飾、
世界中の都市で同時代に流行し、大衆に消費された装飾でもある。富裕層向けの一点制作のものが中心となったアール・ヌーヴォーのデザインに対し、アール・デコのデザインは一点ものも多かったものの、大量生産とデザインの調和をも取ろうとした。アール・デコの影響を受けた分野は多岐にわたり、広まった。
アール・デコは、装飾ではなく規格化された形態を重視する機能的モダニズムの論理に合わないことから、流行が去ると過去の悪趣味な装飾と捉えられた。従来の美術史、デザイン史では全く評価されることもなかったが、1966年、パリで開催された「25年代展」以降、モダンデザイン批判や
建築 [ 編集 ]
アール・デコ
- アメリカ
-
クライスラー・ビルディング
- アールデコの
摩天楼
- アールデコの
- エンパイア・ステート・ビルディング
- ウォルドルフ=アストリア
- エセックスハウス
- ラジオシティ・ミュージックホール
- マイアミの街並み(マイアミ・デコと呼ぶことがある)
他、中南米や、オーストラリア、インド、インドネシアなどにもアールデコ意匠の建築は見られる。
- フロントン・メヒコ (メキシコシティ、メキシコ)
- チリ国立銀行
- セントラル・ド・ブラジル駅
- オーストラリア戦争記念館
- 旧ニュージーランド銀行 ほか、ネーピアの街並み(1931年の震災からの復興に際し、アールデコ様式を採用した)
-
アンザック記念碑 (ニューサウスウェールズ州 シドニー、オーストラリア) - ウメイド・バワン・パレス (ラージャスターン州 ジョードプル、インド)
家具
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インテリア、家具にもアール・デコが用いられた。チャールズ・レニー・マッキントッシュやウィーン分離派、
工業デザイン [ 編集 ]
美術 [ 編集 ]
ポスター・絵画 [ 編集 ]
(本名アドルフ・ジャン=マリー・ムーロン Adolphe Jean-Marie Mouron)
- レイモン・サヴィニャック
- アイリーン・グレイ
- ポール・コラン(Paul Colin 1892年 - 1985年)
- ジャン・カルリュ(Jean Carlu 1900年 - 1997年)
- シャルル・ルーポ(Charles Loupot 1892年 - 1962年)
- タマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka 1898年 - 1980年)
- ジョルジュ・バルビエ(George Barbier 1882年 - 1932年)
- アンドレ・エデュアール・マルティ (André Édouard Marty 1882年 - 1974年)
- シャルル・マルタン (Charles Martin 1884年 - 1934年)
- ジョルジュ・ルパップ (Georges Lepape 1887年 - 1971年)
-
ジャン・エミール・ラブルール(Jean Émile Laboureur
1877年 - 1943年) -
エルテ(Erté
1892年 - 1990年) - 高野三三男(1900年 - 1979年)
- ルイ・イカール (Louis Icart 1888年 - 1950年)
(注)コラン、ルーポ、カルリュ、カッサンドルをあわせてアール・デコ期のポスターの(ダルタニアンを含めた)「三銃士」と呼ぶことがある [3] 。
工芸 [ 編集 ]
ガラス、金属、陶芸(陶磁器などの工芸作品。)。 他、昭和初期に精工舎が金属・
宝飾・ガラス工芸 [ 編集 ]
- ルネ・ラリック(René Lalique 1860年 - 1945年)
- ジョルジュ・デプレ (Georges Despret 1862年 - 1952年)
- フランソワ=エミール・デコルシュモン (François-Emile Décorchemont 1880年 - 1971年)
- ヴィクトール・アマルリック・ワルター (Amalric Walter 1870年 - 1959年)
- ガブリエル・アルジィ=ルソー (Gabriel Argy-Rousseau 1885年 - 1953年)
陶芸 [ 編集 ]
金属工芸 [ 編集 ]
- ジャン・ピュイフォルカ(Jean Puiforcat 1897年 - 1945年)
室内装飾 [ 編集 ]
ファッション [ 編集 ]
アール・デコの潮流はファッションにも波及した。「瞬時に捉えられる単純で輪郭のはっきりしたフォルムと、感覚的で明快な表面性、表層性」が特徴とされるアール・デコの直線的スタイルの革新を真っ先にモードにとり入れたのは、1908年にコルセット不要のドレスを考案し、アール・ヌーヴォー時代を代表するS字型シルエットを排除したポール・ポワレである
日本におけるアール・デコ [ 編集 ]
もともとアール・デコには日本の美術から影響を受けた側面がある。
人物 [ 編集 ]
工芸 [ 編集 ]
- オールドノリタケ(陶磁器、食器)
建築 [ 編集 ]
- 朝香宮鳩彦王夫妻はパリのアール・デコ博で本場の装飾芸術にふれ、フランスのデザイナー、アンリ・ラパンを起用して邸宅を建設した。日本に現存する代表的なアールデコ建築である。内装もフランス直輸入のものを用いている。
- 1933年(昭和8年) 設計・施工清水組
- 山の上ホテル旧館 設計ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
- 神戸市文書館(旧・南蛮美術館)設計小川安一郎、神戸市景観形成重要建築物
- 横浜地方気象台 設計繁野繁造、横浜市指定文化財
- 旧津山市役所庁舎( 津山郷土博物館)設計磯兼権三、 登録有形文化財
- 学士会館
- 大丸心斎橋店
- 横浜松坂屋(旧・野澤屋)
- 現在、西館のみJRAエクセル伊勢佐木として残存。
- 東京都台東区日本堤の「廿世紀浴場」(銭湯)も「アールデコ風」とされることがある [11] 。
- 日本橋白木屋 (現在のコレド日本橋) 施工清水組
-
大阪瓦斯ビルヂング
設計安井武雄、登録有形文化財、
DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築 - 慶應義塾高等学校 第一校舎
その他
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- 氷川丸の装飾などにも影響が見られる。
脚注 [ 編集 ]
- ^ Poulin, Richard (2012). Graphic Design and Architecture, A 20th Century History: A Guide to Type, Image, Symbol, and Visual Storytelling in the Modern World . Rockport Publishers. p. 85. ISBN 978-1-61058-633-7
- ^ 今井 2003, pp. 178–179.
- ^ アール・デコのポスター展」展覧会カタログ13ページ
- ^ a b c 塚田朋子「ココ・シャネルによるCHANELのブランド・ビルディング」『経営論集』第67号、東洋大学経営学部、2006年3月、83-99頁、 ISSN 02866439、 NAID 110009621662。
- ^ 『ポール・ポワレ衣裳展 モダンの原点 アール・デコ』財団法人ファッション振興財団、パリ市立パレ・ガリエラ服飾美術館、1985, p110
- ^ 『ポール・ポワレ衣裳展 モダンの原点 アール・デコ』(上述), p9
- ^ 『ポール・ポワレ衣裳展 モダンの原点 アール・デコ』(上述), p14
- ^ 深沢祥代「ファッションとパリのモード産業」『文化女子大学紀要 服装学・造形学研究』第40巻、文化女子大学、2009年1月、95-108頁、 ISSN 13461869、 NAID 110007006881。
- ^ 東京都立皮革技術センター
- ^ 川中美津子「アール・デコの服飾」『デザイン理論』第34号、関西意匠学会、1995年11月、136-137頁、 ISSN 0910-1578、 NAID 120005651041。
- ^ ただし、廿世紀浴場がアールデコ系と言うのがふさわしいかどうかについては、異論もある。