アシュケナジム
ユダヤ人 および ユダヤ教 |
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アシュケナジム(アシュケナージム、Ashkenazim
[ˌaʃkəˈnazim], אשכנזים)とは、ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々およびその子孫を指す
[1]
。語源は創世記10章3節ならびに歴代誌上1章6節に登場するアシュケナズ(新共同訳や新改訳での表記。口語訳ではアシケナズと表記)である。単数形はアシュケナジ(アシュケナージ、Ashkenazi[ˌaʃkəˈnazi], אשכנזי)。
アシュケナージは、ヘブライ語で
アシュケナジムとセファルディムは、今日のユダヤ社会の二大勢力である。イスラエルでは一般に、前者が白人系ユダヤ人、後者がアジア人または南欧系及び中東系ユダヤ人を指す語として大雑把に使われる場合があるが、これはオスマン朝からイギリス委任統治期を経てイスラエル共和国建国後に至るユダヤ教の宗教行政において「オリエントのユダヤ教徒」(Yahudei ha-Mizrah)がセファルディムの主席ラビの管轄下に置かれていたことに起因する [2] 。しかし、それ以前の歴史や人種的にはっきりしたことは不詳で、現在も論争がたえない。
歴史 [ 編集 ]
ディアスポラ後も、ユダヤ人のほとんどは
地中海世界(のちのイスラム世界)に住んでいた。それに対し、アルプス以北におけるユダヤ人の起源ははっきりしない。
彼らは当初は、ヨーロッパとイスラム世界とを結ぶ交易商人だったが、ヨーロッパ・イスラム間の直接交易が主流になったこと、ユダヤ人への迫害により長距離の旅が危険になったことから、定住商人へ、さらにはキリスト教徒が禁止されていた金融業へと移行した。「ユダヤ人高利貸」というステレオタイプはこのようなキリスト教社会でのユダヤ人の職業に由来し、これに対しイスラム社会のユダヤ人にはこのような傾向はなかった。
彼らは西欧にも定住したが、1290年にはイングランドから、1394年にはフランスからユダヤ人が追放された。15世紀になると
追放された彼らの多くは東方へと移民した。まずはオーストリア、ボヘミア、モラヴィア、ポーランドなどの地域へ移住し、ポーランド王国は1264年に「カリシュの法令」を発布してユダヤ人の社会的権利を保護した。当時ドイツ人の
東方植民時代で、国王による都市化促進政策の一環として、ユダヤ人もドイツ人と一緒に招聘された。ユダヤ人などもポーランドで(ドイツの)マクデブルク法により商業的に有利な優先的条件と権利を保護されていた為にユダヤ人にとり魅力があったため移民した
[3]
。ユダヤ人は都市を築き、商業や銀行業を始め、彼らのビジネスや文学や進んだ技術や高い能力を認められ大公などの側近を勤めポーランド経済の柱となり、ポーランドで最初の
硬貨発行(ヘブライ語が印刻)などに携わった
[4]
)。ポーランドはユダヤ人にとって非常に住みやすい国となった。彼らはのちに
中世末期の欧州では、諸国の王がその時々の利得をはかって、ユダヤ人にしばしば保護を与えていた。これは予告なく撤回もされるものだった。アシュケナジム(東欧系ユダヤ人)のポーランド移住の初期における身分は、そのような政策の特徴をよく示している。ヴィースラ川の王国(ポーランド王国)にやってきたユダヤ人は、祖国で享受していたものと同等とされる特典をいくつか与えられた [5] 。
1264年にカリーシュのボレスワフ公が、マグデブルクの勅令を範として彼らに与えた身分は、その典型であり、後代に各地で模倣された。この制度のもと、ユダヤ人社会は、その宗教と「民族的出自」ゆえに、特殊な社会集団としてコミューン(ヘブライ語で「ケヒラ」)を組織し、内部自治を行うことが認められていた。ユダヤの人間と財産は君主の所有物(servi camerae)であるとされ、これを害するものは君主の財産を害するものと見なされた [5] 。
1334年、ポーランド王カジミエシュ三世により、この制度は王国全体に広められた [5] 。
1388年には、リトアニア王
フランス革命による平等思想の啓蒙や、ポーランド分割による国境の消滅により、アシュケナジムの中にはふたたび西欧に戻ったり、新大陸へと移住したりするものも現れた。しかしその大多数は現在のポーランド、ベラルーシ、ウクライナ西部(ガリツィア)の三地域に居住した。
19世紀末から
1933年にドイツではナチスのアドルフ・ヒトラーが首相に就任すると急速に反ユダヤカジノ 場所 海外政策を実施し、多くのユダヤ系ドイツ人がアメリカ合衆国やイギリス委任統治領パレスチナに逃げるように移住していった。1939年、ドイツとソビエト連邦によるポーランド侵攻が起きてポーランドが占領され、ポーランドを含むヨーロッパのユダヤ系の人々はナチス・ドイツが引き起こしたホロコーストにより多くが死亡した。1945年に第二次世界大戦が終わると強制収容所から生存したユダヤ人は再び大規模移住を始め、今度はポーランドやソ連などからアメリカやパレスティナに向かい、後者はイスラエル建国に大きな役割を果たした。
ポーランドのユダヤ人 [ 編集 ]
第二次世界大戦前 [ 編集 ]
第一次世界大戦後に独立を果たしたポーランド第二共和国は、ポーランド分割以前のポーランド国家同様、再び世界最大のユダヤ人人口を抱える独立国家となった。
ユダヤ系ポーランド人は、多くは商人となり時にその地域の富裕層になったりした
[6]
。 ユダヤ人は靴屋や仕立て屋などになったり、医者(ポーランドの全医師の56%)、教師 (43%)、ジャーナリスト
(22%) そして弁護士
(33%)であった
1921-1931年頃、ユダヤ人はよくポーランド人とは認知されず [8] 、ユダヤ人とポーランド人の関係は緊迫する結果となった [9] 。
1923年、ポーランドの全大学でユダヤ人生徒が、口腔医学で62.9%を占め、医学は34%、哲学 29.2%、 化学 22.1%、法律 22.1%(26% 1929年まで)となり反発の要因となった [10] 。殆どのユダヤ人は高学歴であったが、政府官僚の地位からは除外された [11] 。
反ユダヤカジノ 場所 海外は、第二次世界大戦前の数年に頂点を迎えた [12] 。国内でユダヤ人商売のボイコット運動やコーシャー肉用の屠殺禁止運動など盛んになった [13] 。
1935年と1937年、反ユダヤ事件が起こりユダヤ人は37名死亡し、外傷者500名であった [14] 。
1936年、 私企業 80.3%はユダヤ人経営となった [15] 。
ドイツがポーランドに侵攻するまでの1939年、この運動はエスカレートし、ユダヤ人への敵意はポーランド人右派や
カトリック教会などの旨意の中心となった
ホロコースト (ドイツ占領下) [ 編集 ]
第二次世界大戦の幕開けと共に、ユダヤ系132,000名がポーランド軍に従軍して戦った
[17]
。
ユダヤ系ポーランド人
ナチス・ドイツは、ヨーロッパ地域のユダヤ人の処遇について、1942年1月に開催された
ホロコーストにより、ポーランドに居住していた約600万人のユダヤ人のうち、半数の約300万人がドイツによって殺害された。これにより、現代のアシュケナジムは主に
1939年10月から1942年7月、ユダヤ人38万人が3.4k㎡のワルシャワ・ゲットーへ入れられた。その際に空き家となったユダヤ人住居は、戦後の住居として当局から非ユダヤ系ポーランド人達に与えられたが、強制収容所から生還したユダヤ人との間で不動産トラブルが頻発した。
1942年3月中旬-1943年11月初旬、ラインハルト作戦によりポーランド各地にヘウムノ強制収容所、ベウジェツ強制収容所、ソビボル強制収容所、トレブリンカ強制収容所、マイダネク強制収容所、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が建設され、ゲットーを含めた各地域のユダヤ人達は続々と強制労働場(en:Forced labour under German rule during World War II)や強制収容所へ移送されていった [18] 。 ほとんどのシナゴーグは破壊された [19] 。
1943年4月ー5月、ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人は、トレブリンカ絶滅収容所へ移送され始め、ゲットー内の左翼 シオニスト青年組織ユダヤ人戦闘組織によりワルシャワ・ゲットー蜂起が起こった。
1943年8月、ビャウィストク・ゲットー解体命令が出された。7600人がトレブリンカ絶滅収容所へ移送され、子供1200人はボヘミアのテレージエンシュタットへ移送後、アウシュヴィッツ=ビルケナウへ移送されて、そこで殺害された [20]
1943年8月16日、ビャウィストク・ゲットーにて ビャウィストク・ゲットー蜂起 が起こる。蜂起自体は何の効果もなく即座にドイツ軍に鎮圧されたが、2番目に大きな蜂起となった。
1944年、ワルシャワ蜂起が起こり、ユダヤ系ポーランド人約17,000人が国内軍 と共に戦うか、市内各所に隠れていた。蜂起の鎮圧後、参加者とみなされた者は即座に処刑され、隠れていた者は強制収容所へと連行された。
共産カジノ 場所 海外の支配 (1945–1989) [ 編集 ]
第二次大戦終結直後から、様々な理由でユダヤ系ポーランド人はポーランドを離れた [21] 。ポーランドでの共産カジノ 場所 海外やホロコーストにより家族親族を多く失ったこと、またはポーランド人の反ユダヤカジノ 場所 海外を避けたい等の理由があった。ポーランドは、ユダヤ人移民がイギリス委任統治領パレスチナへ自由に行ける東側諸国の唯一の国であった [22] 。
1944–46年、反ユダヤ運動が起こる。ポーランド人によって数百人から1500人のユダヤ人が殺害された [23] 。一方、1947年に新憲法を制定したポーランド国民統一臨時政府ではソ連の支援を受けた共産カジノ 場所 海外のポーランド統一労働者党が単一政党として実権を掌握したが、同年11月29日の国連総会における パレスチナ分割決議にはソ連やチェコスロバキアとともに賛成した。1948年5月14日、ポーランド出身の非共産系社会カジノ 場所 海外者だったダヴィド・ベン=グリオンを首相とするイスラエル国家が独立を宣言すると5月19日にはポーランドがこれを承認し、同年内にワルシャワへイスラエル大使館が設置されてユダヤ系住民の移住を支援した。
1958–59年、ヨシフ・スターリンの死後、既に1952年にポーランド人民共和国となっていたポーランドから5万人のユダヤ人がイスラエルに移民した
[24]
。一方で人民共和国側に参加したのユダヤ系も多く、公安(Urząd Bezpieczeństwa、UB )・外交諜報の確立に関わった
ヤクブ・ベルマン
や共産カジノ 場所 海外経済体制を主導した
1967年、
1967~1971年、政治経済や秘密警察の圧力により14,000人のユダヤ系ポーランド人は強制的に国外移住となりポーランド市民権は放棄となった [25] 。
1970年代半ば、第三次中東戦争後に東側諸国の中で初めてイスラエルとの外交修復を試みた。
1970年代末、ユダヤ人活動家は共産カジノ 場所 海外政権に対抗し、
1986年、イスラエルとの国交は部分的に回復した。
1989年、独立自主管理労組「連帯」を中心とした一連のポーランド民主化運動の結果、共産カジノ 場所 海外政権は崩壊し、9月7日に現在のポーランド共和国(ポーランド第三共和国)が成立した。この時点でユダヤ人居住者は 5,000–10,000人程しか残らなかった。ポーランド残留のユダヤ人は、世俗カジノ 場所 海外的なユダヤ教徒の家系であったことから、ある者は自然に、ある者は前述の政治闘争の結果自らのユダヤ系の出自を隠した。それまでに多くの者はカトリック教徒となっていたが、一部は無神論者や懐疑カジノ 場所 海外者もいた。
1989年以降 [ 編集 ]
共産カジノ 場所 海外後、徐々に自らのユダヤ系の出自を公言したり、家族から聞き先祖の出自を表に出すようになっている。クラクフで毎年夏に開催されるヨーロッパ最大のユダヤ祭り「シャローム」は、内外から多くの観客や参加者が集まり盛大に催されている。
第三共和国成立直後の1989年11月、イスラエルのシモン・ペレス副首相がポーランドを訪問し、人民共和国時代からの国家元首だったヴォイチェフ・ヤルゼルスキ大統領や連帯出身のタデウシュ・マゾヴィエツキ首相と会談した。1990年2月27日、イスラエルとポーランドの国交は回復した [26] 。1991年5月には連帯のリーダーだったポーランドの レフ・ヴァウェンサ大統領がイスラエルを訪問し、関係正常化は完成した。
ただし、その後もポーランド国内でのユダヤ人人口は減少を続けた。2015年、ピュー研究所による統計によるとポーランドはヨーロッパ6ヶ国の中で、ユダヤ人に対し「好意的でない」結果となった [27] 。ポーランドにおける歴史的ユダヤ人の人口推移(ポーランドでのユダヤ人口 % )
年 | 1921 | 1939 | 1945 | 1946 | 1951 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2010 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
人口 | 2,845,000.3
(+14.2%) |
3,250,000
[28]
[29]
(100%) 総人口の9.14% |
100,000
(−96.9%) 0.43% |
230,000
(+130.0%) 0.97% |
70,000
(−69.6%) 0.28% |
31,000
(−55.7%) 0.10% |
9,000
(−71.0%) 0.03% |
5,000
(−44.4%) 0.01% |
3,800
(−24.0%) 0.01% |
3,500
(−7.9%) 0.01% |
3,200
[29]
(−8.6%) 0.01% |
文化 [ 編集 ]
伝統的にセファルディムが
なお、Ashkenazyという姓を名乗るユダヤ人の多くはセファルディムである[ 要出典 ]。
特徴 [ 編集 ]
いくつかの顕著な遺伝的特徴が見られるが、これはユダヤ人全体ではなくアシュケナジムに限った特徴であり、セファルディムには見られない。 [ 要出典 ]
まれな遺伝病であるテイ=サックス病と
高い知能を示す傾向がある [30] 。ノーベル賞など著名な科学賞の受賞者には人口比からは考えられないほどのアシュケナジムがいる [31] [32] が、おそらくこれも要因の一つとされる。
文化人類学者のグレゴリー・コクラン、ジェイソン・ハーディー、ヘンリー・ハーペンディングは、次のような仮説を提唱している。アシュケナジムは神経細胞に蓄えられているスフィンゴ脂質という物質が関与する病気に罹りやすい。スフィンゴ脂質が関与する病気には、テイ=サックス病、ニーマン=ピック病、ゴーシェ病などがある。通常、スフィンゴ脂質が多すぎると、死に至るか、少なくとも生殖不可能な深刻な病気に罹る。ただし、ホモ接合型でスフィンゴ脂質過剰遺伝子を二つ持っていると深刻な病気や死に至るが、ヘテロ接合型で一つだけだとスフィンゴ脂質の量は高いものの、致死的なレベルには至らない。スフィンゴ脂質のレベルが高いと、神経信号の伝達が容易になり、樹状突起の成長も促される。神経突起の枝分かれが多いほど、学習や一般的な知能にとっては好ましいという。 [33]
脚注 [ 編集 ]
注釈 [ 編集 ]
- ^ ただし、他にも多くの民族の血を引いていたレーニンは自身をロシア人とみなしていた。
出典 [ 編集 ]
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- ^ Pinker, Steven (2006年6月17日). “The Lessons of the Ashkenazim: Groups and Genes”. The New Republic. オリジナルの2008年1月5日時点におけるアーカイブ。 2007年12月23日閲覧. "Though never exceeding 3 percent of the American population, Jews account for 37 percent of the winners of the U.S. National Medal of Science, 25 percent of the American Nobel Prize winners in literature, 40 percent of the American Nobel Prize winners in science and economics, and so on."
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著名なアシュケナジムの人物 [ 編集 ]
- ハインリヒ・ハイネ
- セルゲイ・エイゼンシュテイン
- ジークムント・フロイト
-
アルベルト・アインシュタイン - テオドール・ヘルツル
- グスタフ・マーラー
- エミー・ネーター
- リーゼ・マイトナー
- フランツ・カフカ
- ゴルダ・メイア
- エーリッヒ・ケストナー
- ジョージ・ガーシュウィン
- ジョン・フォン・ノイマン
- レナード・バーンスタイン
- アンネ・フランク
- ウラディーミル・アシュケナージ
- リチャード・P・ファインマン
- カール・マルクス
- ヘンリー・キッシンジャー
- ピーター・ドラッカー
- カール・シュヴァルツシルト
- オットー・リリエンタール
- ハンナ・アーレント
- ヴァルター・ベンヤミン
- ヘルベルト・マルクーゼ
- ボブ・ディラン
- ビリー・ジョエル
- ニール・セダカ
- マーティ・フリードマン
関連項目 [ 編集 ]
- カイク
- ハザール
- ハスカラー
- イディッシュ語
- イディッシュ文化
- シュテットル
- ウラディーミル・アシュケナージ
- ステファン・アスケナーゼ
- ユダヤ人の歴史
- ユダヤ教
- ミズラヒム
- セファルディム
- イスラエル