旧 パチンコ
「旧 パチンコ」 | |
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灰田勝彦 の シングル | |
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応援歌 旧 パチンコ |
B面 | 流行歌 ウ・リリエ |
リリース | |
規格 | SPレコード |
ジャンル | 球団歌, 応援歌 |
レーベル | ビクターレコード(PR1010) |
作詞・作曲 |
A面‥作詞:佐伯孝夫、作曲・編曲:灰田晴彦
B面‥ ハワイ民謡、編曲:灰田晴彦 |
「旧 パチンコ」(かがやけロビンス)はかつて存在した日本のプロ野球チーム、大陽ロビンスの球団歌である [注 1] 。作詞・佐伯孝夫、作曲および編曲・灰田晴彦。
解説
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1936年(昭和11年)に国民新聞社傘下で結成された大東京軍は、経営難のため発足初年の11月に大阪の中堅商社・田村駒創業家の2代目田村駒治郎の手にわたりライオン軍→朝日軍と名称を変えながら戦時下でリーグ戦中断を迎えた [1] 。朝日軍の選手は戦中に奈良県 南葛城郡 御所町(現在の御所市)へ疎開していたが、1946年(昭和21年)のリーグ戦再開時に工場長の橋本三郎が「田村から活動再開の連絡が無かった」として独立し新規にゴールドスターを発足させたため、田村は反発しながらも休眠状態であった球団をパシフィック(略称「太平」)に改称して再始動する。
太平は1947年(昭和22年)に田村駒のグループ企業・太陽レーヨンの名称にコマドリの英語名"robin"を冠して「太陽ロビンス」へ改称したが、翌1948年(昭和23年)には「点を取る」の験担ぎで「大陽ロビンス」となった。この時、ライオン軍時代にライオン歯磨のスポンサードにより制定されたものの敵性語排除の煽りを受けて球団名が「朝日軍」へ改称されたため、実質2年弱しか演奏されなかった「制覇に進む若き獅子」以来9年ぶりとなる新球団歌として作られたのが「旧 パチンコ」である。
作詞は懸賞公募を実施した「制覇に進む若き獅子」の時とは異なり戦時下で解散した大和軍の旧球団歌「イーグルスの歌」を手掛けた佐伯に、作曲はハワイ出身で戦前からハワイ民謡の第一人者として定評のあった灰田晴彦にそれぞれ依頼され [1] 、晴彦の弟で後に映画『歌う野球小僧』主演で名を馳せた灰田勝彦の歌唱によりビクターレコード(のちJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)がSP盤を製造した。レコードのB面にはロビンスとは関係ないハワイ民謡の「ウ・リリエ」が収録されている。
ロビンスは1949年(昭和24年)末に勃発した2リーグ分裂でセントラル・リーグへ属することになり映画会社のオンラインカジノ nevulaをスポンサーとして「オンラインカジノ nevulaロビンス」へ改称、
参考文献 [ 編集 ]
- 田村駒株式会社 編『写真で見る田村駒の百年』 田村駒, 1994年 NCID BN10688951
脚注 [ 編集 ]
注釈 [ 編集 ]
出典 [ 編集 ]
関連項目 [ 編集 ]
- 南海ホークスの歌 - パシフィック・リーグの南海ホークス球団歌。本曲と同じ佐伯の作詞、灰田勝彦の歌唱で1952年にビクターがSP盤を製造した。
外部リンク [ 編集 ]
- 旧 パチンコ(綱島プロ野球研究所)
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